2015年12月20日

渦巻きと虹

「渦巻きと虹」とひとまずタイトルを付けてはみたものの、一年以上に渡ってブログを休んだために記事を書く感覚が鈍ってしまったせいか、すでに頭の中では大まかにではあるけれども出来上がっている構想をいざパソコンに向かって記事にしようしても言葉にするのがままならず、そうこうするうちに書くのが何とも面倒臭くなって、やはりもう書くのは止めようかという思いが頭をもたげるのだけれど、

RAINBOW(初回限定盤)(DVD付) - エレファントカシマシ愛すべきロックバンドのエレファントカシマシが三年ぶりに新アルバムをリリースするという事態を目の前にすれば、祝福とエールの思いを込めてここはいま少し踏ん張って記事を仕上げてみようかと自らを奮い立たせて、奇しくも当ブログの庵主の名前「BOW」の文字が含まれていることにほくそえみたくもなる新アルバム『RAINBOW』を聴きながら辛うじてパソコンに向かってキーを叩いていると、取り留めのない想念があちらこちらへととめどなく飛び交い始め、また新しい発見なども加わりもして当初の構想が液状化を起こしてしまう始末でなかなか先へと書き進められず、

たとえばアルバムの始まりを告げる"3210"が流れ始めれば、これは忌野清志郎へのオマージュかと思えるほど清志郎の"JUMP"のイントロそっくりではないか、そう、この曲は確か一度は病を乗り越えて武道館のステージに立った清志郎の復活コンサートの始まりに演奏されたものではなかったか、とか、

続いて最も新しく作られた曲という“RAINBOW”が流れてくれば、思いは前作のアルバム『MASTERPIECE』に収録された曲“七色の虹の橋”の「虹」へと飛び、さらには宮本に少なからぬ影響を与えたと思われる、“七色の虹の橋”に歌われたフランスの詩人・ボードレールへと、そしてそこからさらに、この詩人が自らの手でフランス語の翻訳まで出すほど魅せられたという、アメリカの作家、エドガー・アラン・ポーの小説“メールストロムの旋渦”へと飛んで行き、

というのも、今年没後50年を迎えた日本の小説家・江戸川乱歩の名はこの小説家に因んだものだという周知の話はこの際関係のないことだけれど、ポーの“メールストロムの旋渦”という、大渦巻に巻き込まれて難破した船から生還した男にまつわるこの短編小説には、エレカシの“RAINBOW”に現れていた「渦巻き」「虹」「月」というモチーフが描かれていて、ともに「渦巻き」という混沌の中に「虹」を見る、すなわち魂の暗夜からの生還という物語が語られているからで、

実際、音楽雑誌『音楽と人』の新アルバムのリリースに伴うインタビューで宮本が「あの時は落ち込んでいくというか、どこにも逃げ場がない底なし沼にどんどん入って行って、右も左も、上にも下にも逃げ場がないなって突如感じたんです」と、ミュージシャンにとっては致命傷になりかねない耳の病を患った際の心理状態を振り返ったうえで、“RAINBOW”について「でもそれはネガティブなことじゃないんだよ。それをそのまま唄えているということは、むしろ開放感がそこにはあったってことだと思うし、その日常が昇華されたというかね・・・」とある種の解放感を語っているのは、人生の困難を乗り越える秘術に触れるようで興味深く、ポーのこの短編の普遍性を持った物語が、突発性難聴を患うことで不安や恐怖に飲み込まれてバラバラになりそうだった心が再び統合へと向かい蘇生し、新アルバムの発表に至った宮本の魂の軌跡と重なって深々と感慨に耽ってしまったりとか、

こんな具合に一曲ごとに想念の飛躍やら逸脱やらが湧き出でて、それをすべて記事にしようとすれば収拾がつかなくなるのは目に見えているわけで、コーラス、テープの逆回転、ノイズの挿入、ストリングスや打ち込みなどの多様な音の使用が何を表象しようとしているのか、あるいは魂の暗夜からの生還の物語の時空間をメロディー、リズム、和声を通じてどのように処理しているかなど、曲ごとにその音楽性と物語性を吟味していくことは放棄するとしても、

アルバム全体を俯瞰してみれば、どこをどう切ってもエレファントカシマシだと思えるのは、すでに過去の記事で性懲りもなく繰り返し書いてきたので、ここでは簡単に触れるにとどめるけれども、例を挙げれば切りがないほどアルバム収録曲の随所に渡って見ることができる、自らを絶えず更新することで、既知の退屈な日常を未知のワクワクする世界へと変容させていくこととしての「歩くこと」

葛藤の苦しみをもたらす、あるがままとあるべきもの(ありたいもの)との距離(この距離を埋めようとする心の動きが葛藤、この空間が空虚感、この隔たりが疎外感として感じられるのだろう)としての「遠さ」(“あなたへ”“Destiny”“愛すべき今日”の「遠さ」に加え、“TEKUMAKUMAYAKON”“永遠の旅人”の「永遠」もまた「遠さ」の感覚だと言えるだろう)、

そして「静かに暮れてゆくこの空に もう一度 愛のうた歌おう」と歌われ、愛が見出される“愛すべき今日”の「暮れ」、「陽だまりも宇宙も 喜びも悲しみも 全部胸に抱きしめて」と歌われ、「渦巻」という混沌の中に統合(「この世をべているのは心」と歌われている)としての「虹」を見つける“RAINBOW”の「暮れ行く街」の「暮れ」、というように、融和(統合)としての「夕暮れ」といった、初期の頃から最新アルバムに至るまで一貫して流れ続けているエレファントカシマシの三つの主要なテーマが歌われている点だと言えるだろうし、

それに加えて新しく注目すべきだと感じたのは「鏡」、このモチーフが現れるのは比較的新しいことで、私の知る限りでは、深い内省を伴って「何もない俺の心 そのままこの都会(まち)の形をのようにうつすだけ」と歌われた“明日への記憶”が初めてのことだと記憶しているのだけれど、その後「いつもとおんなじ 何も変わらない俺 に映してこんにちは」と歌われる“いつか見た夢を”を経て、新アルバムの「悲しそうな顔しないでくれよ 悩む俺の顔を映し出す のようだね」と歌われる“愛すべき今日”に至るわけだけれど、

考えてみれば“TEKUMAKUMAYAKON”も「鏡」にまつわる歌だし、それらに呼応するかのように、前アルバム『MASTERPIECE』に収録された“ワインディングロード”と、新アルバム収録の“愛すべき今日”のPVの冒頭シーンには、ともに鏡のように水たまりに映る宮本浩次の姿が映されていて、何かここには重要なテーマが隠されてはいないだろうかと思っていたところ、

新アルバムに伴って行われた各誌のインタビューを読んでみると、来年50歳を迎えいわば初老となる宮本が、たとえば音楽雑誌『JAPAN』では「老人第一歩みたいな時に、病気とかも含めて、自分はただの弱い、中年の男だということを受け入れたことで、かえって瑞々しさを手に入れた」と語り、

また『音楽と人』では「空を飛んで、一兆円を稼いで、しかも老いない上に頭も良くて、喧嘩も強い。そして女性には優しい。そんな無敵の人間ですよ。俺は絶対そうなるって、幻想を抱いていたんですよ。だがーしかし!現実のヒーローは、この老いさらばえて白髪も増え、中年を自覚した、無常を受け入れざるを得ない男なんですよ・・・。」と、『アナと雪の女王』ではないけれど、ここにはありのままの自分を受け入れることが語られていて、

おそらく「鏡」とは、深い内省を通して見いだされた、ありのままの自分、等身大の自分を映す装置として現われているのではないか、「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」と唱えれば願いが叶う魔法の鏡などこの世には存在しないのだ、そして鏡に映ったありのままの自分を直視し受け入れることが、とりもなおさず、あるべきもの・ありたいものの呪縛からの解放であり、無用な葛藤に苦しむ者を解放へと導くのだろう、とひとまず言えはしないだろうか、

RAINBOW(通常盤)と書き進めているうちに、想念はアルバム『RAINBOW』通常盤のジャケットの写真へと飛び、その開放感溢れる大空の下をゆったりと流れる荒川の風景を背に並んで立つエレカシ4人の姿もまた、大袈裟でも控えめでもないまさにありのままの今を写しているように感じるとともに、

この写真が撮影された河川敷のほど近くには、この場所を知らずしてエレカシは語れないとも言うべきエレカシの誕生地・赤羽台団地が広がっていて、正月のコンサートのついでにこの聖地を巡礼する方も少なくないと想像に難くないのだけれども、

ビートルズの“Strawberry fields forever”(新アルバムに収録の“昨日よ”と同じくテープの逆回転を使用している)や“Glass Onion”の中で歌われる、ジョン・レノンが子供時代の一時期を過ごしたというストロベリーフィールズが、彼のその後の音楽性や思想形成に重要な位置を占めたように、

東京といっても北の外れに位置して、中心部の華やかさとは無縁でどこか垢抜けない、いやそんな辺境だからこそエレファントカシマシというバンドを産んだに違いない赤羽は、未知の世界に向かって新しい一歩を踏み出そうとしているエレカシにとって、常に原点として存在し、象徴的な意味を持った場所なのだと確信もし、この土地の風景の一部が新アルバムのジャケットに採用されたことに大いに肯いて、「エレファントカシマシ・フォーエヴァー」と、ひとり呟くのであった。(完)

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追伸

昨年の11月にブログ移転のお知らせ記事を出してから早一年、そそくさと移転先のブログを決めて移転作業を進めてはみたものの、何度かの中断を挟んでいるうちに移転作業が面倒臭くなってしまったので、このままブログを放置して訪問者が限りなくゼロに近づいた時点で、準備中だったブログともども人知れず安楽死させようと思っていたところが、時折覗いてみると一年を経てもなお一定の数の方が訪問されていて、時には当ブログの名前で検索して訪問してくださる方や、当ブログからアフィリエイトをご利用してくださる方もいらっしゃったりして、このままブログを閉じるのも何とも寂しい話かもしれないと思い直し、ブログで記事を書き始めて約六年の間にこのブログを訪れてくださった皆さん、とりわけコメントを寄せてくださったり、アフィリエイトを利用してくださった皆さんへのお礼とご挨拶を込めて、最後の記事をしたためてみました。新しいブログの開設及び移転も取り止めることにしました。長い間に渡り当ブログの記事を読んでくださって、どうもありがとうございました。



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posted by bow at 13:39| Comment(18) | ハロー エレカシ!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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